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遺族の感情
SIDSで家族を失った遺族の感情について
罪と怒りについて
罪悪感と怒りは、SIDSの親達に共通のものです。赤ちゃんを亡くした親は、時に自分の怒りと罪悪感の全ての原因を見つけるために、自己の心を深く掘り下げなければなりません。罪悪感は、内に向かう怒りともいえます。要するに、私達は、自分自身に怒っているのです。何故なら、コントロールしたかったことがそうできなかったからです。人生において大切な事は、自分で処理し管理できると思いたいにも関わらず、子供が死ぬとあらゆる自制心を失い、自分が如何にもろく傷つきやすいものかということに気付きます。そして、自分自身や他人を責めることで、自制心を取り戻そうとします。世の中には自分の力ではどうにもならない事がたくさんあるという当り前の事実を受け入れるよりもむしろ、自分や他人を責めようとします。そうすることが、例えどんなに辛くひどいことであっても。
自分自身や他人を責める気持ちは、どこから来るのでしょう?時にそれは、「何故、こんなに恐ろしい事が起こったのか。」ということを何としてでも明らかにしたいという気持ちからもたらされることもあります。私達は、自分の身の上に起こった事柄を解き明かさなくてはならないのです。そうすることで、現在を意義あるものにし、将来の行き方の指針が得られるからです。ある親は、次のように書いています。
「クリスチャンが亡くなってから3年になりますが、未だに、赤ちゃんが、特にはっきりとした原因もないのに突然死ぬということが信じられません。自分がずっと罪悪感を感じ続けているのは、そういう事が実際に起きたということを拒否する気持ちが長くあるからだと思います。『誰かが何か良くない事か愚かな事をしなければこんなひどいことは起きるはずがないのだから、きっと私が何か悪い事をしたに違いない』と。
心理学者によれば、予知できず説明のつかない死は、予想され原因のはっきりした死よりも、より一層罪の意識や怒りの気持ちを引き起こしやすいということです。SIDSの原因はまだ解明されていないため、SIDSによる死亡は、余計にあれこれ想像して自分を責める理由を作りがちなのです。
罪悪感
罪悪感は、「もし、…さえ…」という形で現われます。「もし、私がもっと気を付けていたなら…」、「もし、私があんなに長く寝かせていなかったら…」、「もし、あの日、私が仕事に出かけなかったら…」、「もし、私が、妊娠中にあの薬を飲まなかったら…」、「もし、私が仰向け寝にさせていたら…」などです。
また、罪悪感は、SIDSの母親達殆ど全てに見られます。例えその母親の行動が子供の死に直接何の関係がなくても、母親は罪悪感を感じます。と同時に、罪悪感は、誰にでもあるごく当り前の感情であり、SIDSという出来事によって元々そこにあった感情が表に現れてきただけなのです。
罪悪感は、自尊心が低い状態において頭をもたげて来ます。SIDSは、母親が非常に傷つきやすくなっている時に起きやすいのです。例えば、母親が妊娠状態からまだ完全に回復しておらず、夜中の授乳で疲れ切っている時。そして、時々、こうした大変さについて愚痴をこぼしている時。
そんな時、赤ちゃんが亡くなると、母親は、「私が、感謝の気持ちが足りなかったから、天罰を受けたのだ」と考えてしまうかもしれません。 3番目か4番目の赤ちゃんを亡くした母親の場合、「もし、私がこの子に対してあんなに気を楽にして手を抜かなかったなら…」、「もし、私がもっと気を配っていたなら、もっと早くに様子を確かめていたかもしれない」と思うことがあります。
こういった、「もし、…さえ…」のことばかりを考えていると、自分自身を駄目にしていくでしょう。罪悪感ほど自分を破滅させるものはありません。中には、自分自身を罰するために、根拠のない罪の意識に縛り付いている親もいます。 亡くなった赤ちゃんにあてて手紙を書くのもいいかもしれません。
その手紙に、自分が赤ちゃんの死を引き起こしたと思われる事柄をリストアップし、全て書き出してみるのです。そして、その手紙が誰か他の人からのものであるとして、自分自身に次のような質問を投げかけながら読んでみます。
…自分は、これらの出来事が何かとんでもない犯罪であるかのように思い、この人を責めなかっただろうか。
これを書いた人は、赤ちゃんの幸せを全く考えないような人だろうか。
赤ちゃんが生きていた時に行った色々な事は、本当に罪悪感の元になるのだろうか。
いや、実際は、この人はその出来事が起きた時に最善を尽くしたごく普通の人ではなかったのだろうか。
このように問いかけてみれば、恐らく、あなたは、赤ちゃんに対して危害を加えるつもりなど全くなかったと断言できるでしょう。また、誰も完璧な人間ではないし、人は、しばしば全く不注意であったり無頓着であったりするけれど、大抵は何も起こらないことに気付きます。赤ちゃんがその日に死ぬことになるとは、誰も予想出来なかったのです。例え、何かを違ったようにやっていたとしても、結果は同じことだったかもしれません。
ソーシャルワーカーたちは、SIDSの家族は常に多少の罪悪感を感じながら生きているいるかもしれないと言っており、罪悪感を完全に取り除こうとするよりも、罪悪感と共に生きることを学ばなければならないと言っています。手紙に書き出したリストをもう一度読み、自分がした事を受け入れる努力をしてみてください。自分のした事を変えることは出来ないのですから、それを肯定し、自分自身を許すことです。
自分が赤ちゃんにしてあげた事を全部書き出すのもいいかもしれません。罪悪感の中に浸っていると、しばしば、自分がしてきた良い事も全て忘れてしまいがちです。赤ちゃんの面倒を色々みてきたこと、そして、赤ちゃんの安全に気を配ってきたこと…、そうやって、自分のしてきた良い事を全て思い出してください。
怒り
罪悪感の代わりに怒りを抱く親達もたくさんいます。怒りは、短気、苛立ち、他人に当たり散らすこと、他人を責めること、怒鳴ること、極度の疲労、心の乱れ…といった形で現れます。また、酒や麻薬に溺れたり、異常な衝動買いといった破滅的な行動で現れることさえあります。怒りの感情は、時として、亡くなった赤ちゃんや神、医師、他に赤ちゃんの世話をしていた人達に向けられることもあります。怒りは、理性で割り切れるものではなく、怒りを抱く人は、自分の怒りが状況を悪化させるだけとわかっていても、その感情をどうすることもできないのです。
あるSIDSの母親は、こう書いています。
「1994年に始まったアメリカの予防キャンペーンが、赤ちゃんの命を救うのに成功すれば、赤ちゃんをうつ伏せ寝にさせていた私達は大きな悩みを抱えることになるでしょう。つまり、『もっと早くそのことを知っていたなら…』と。
けれども、仰向け寝ではなくうつ伏せ寝にさせていたことで罪悪感を感じているわけではありません。他のSIDSの母親達同様、1991年当時の医師達の指示に従っただけなのです。
アメリカ小児科学会が、1992年にうつ伏せ寝がよくないことを発表した時、まだうつ伏せ寝を勧める医師達はいたのです。 例え、仰向け寝が勧められるようになった後でうつ伏せ寝にさせていた赤ちゃんが亡くなったとしても、その親達が罪悪感を感じるべきではないと思います。何故なら、うつ伏せ寝は、今日に至るまで世界中で広く行われており、容易に変えられる習慣ではないからです。うつ伏せ寝を好む赤ちゃんもいますし、(特に、最初うつ伏せ寝にされていた場合)寝返りが打てるようになってからではうつ伏せ寝にならないようにしておくのは殆ど不可能です。
調査員自身が書いている事ですが、温めすぎた部屋で柔らかいマットレスにうつ伏せに寝かせていてもSIDSで亡くならない赤ちゃんは何百万人といるし、逆に、涼しい部屋で固いマットレスで仰向けに寝かされていたのにSIDSで亡くなった赤ちゃんはたくさんいるのです。結局、どんな寝かせ方をしても赤ちゃんは亡くなったのです。
アメリカのマスコミの記事では、『赤ちゃんを横向き寝か仰向き寝に』と勧めるキャンペーンが成功すれば、全米で恐らく毎年2000人の赤ちゃんの命が救われるだろうと予想しています。が、私は、それを読むと罪悪感よりもむしろ怒りを感じます。
アメリカの医師達は、通常、医学の研究や最先端の分野で世界をリードしているにもかかわらず、この重大な問題の研究では、世界に遅れをとっていたようです。アメリカのSIDS予防キャンペーンは、1994年に、80年代半ばに海外で始まった流行病の研究に応じる形で始まりました。
米国厚生省によれば、幼児の仰向け寝や横向き寝を推進するキャンペーンが成功した国々では、SIDSの割合が50%ほど減少したという調査結果が出されています。何故、アメリカがこうした研究やキャンペーンで遅れをとっていたのでしょうか。
私が怒りを抱くのは、息子がうつ伏せ寝で亡くなったから、そして、そのことが、男の子という以外唯一の危険因子だったからです(男の子は、女の子に比べてSIDSの発生率が高い)。
私が、『もし…さえ…』といくら悔やんでも、起きてしまった事はどうにもならないのだから、自分はあの当時の医師の勧めに従っただけなのだと思うことで、この寝かせ方の問題について自分を納得させるしかありません。 医師や保健婦達も自分と同じ様な一個の人間であり、何もかも知っているわけではないのだと考えるのもいいでしょう。彼等には、その当時その情報しかなかったのかもしれないのです。例え、誤りや見過ごしていることがあったとしても、それは、医師や保健婦達が故意に赤ちゃんに危害を加えようとしていたのではないのです。
人生は全く不公平なものであり、人間は不完全な存在であり、事故は起きるものなのだという事実を受け入れざるを得ないでしょう。
怒りの感情を外に出すのは良い事ですが、それを間違った相手にぶつけないようにしてください。再び間違いを起こさないために、体を動かしたり、人とおしゃべりしたり、泣いたり、のんびりくつろいだり、積極的に活動したり…といった前向きの方法を見つけて怒りを解消してください。
これからの人生のために
人間は全能ではないし、事実、原因のよくわからない悲劇にもろい存在です。そのような現実を認めることは、罪悪感や怒りの中に隠れている感情や恐れに立ち向かっていくプロセスの一部となります。私達が罪悪感や怒りを感じるのは、もし自分が違ったように振る舞っていたらあの事故は防げたかもしれないと思うからなのです。けれども、実際には、私達は全てをコントロールできるわけではないことを受け入れなければならないし、自分達が無力であることを認めなければなりません。
罪悪感を抱いたり怒りを感じることは、否定的で後ろ向きの考え方です。そこで、以下のように前向きの姿勢で考えてみてはどうでしょう。
あなた自身も他の誰も、赤ちゃんに危害を加えるつもりは全くなかったのだということ。
実際、あなたは、赤ちゃんの命を救えるのならどんな事でもしたであろうということ。
あなたが赤ちゃんにしてきた数多くの良い事を思い出すこと。
同じ様な事が再び起きないように、十分気を付けること。 SIDSのサポートグループは、色々な面で力になれると思います。何故なら、後に残された者達は、人は誰でも何らかについて罪悪感や怒りを感じながら生きていることがわかるからです。
罪悪感や怒りは、SIDSで赤ちゃんを亡くした者達にとって、避けることのできない正当で当り前の感情です。時間はかかるでしょうが、例え実際に何かの過ちや見過ごしがあったとしても、何とか自分自身と折り合っていく方法を見い出さなければなりません。
私たちが、悲しみの中で罪悪感や怒りといった感情から逃れられないのは、しばしば、亡くなった子供のことが諦め切れないからです。赤ちゃんに対する色々な感情を切り捨てたら、赤ちゃんそのものを見捨ててしまうことになるというように思えるかもしれません。が、本当は、こうした否定的な感情を肯定的な感情に変えていくこと、つまり、短い一生だったけれどあの子と過ごせてよかったと思うようにしていくことが大切なのです。
容易な事ではありませんが、現実をこのように受け入れていくことで、赤ちゃんを亡くした人々は、その後の人生を再び踏み出し、意義あるものにしていくことができるようになるのです。
参考)
1996年6月に行われたアメリカ・メリーランド州での第4回SIDS国際会議資料より
p. 5-8, p. 15-16 Survival Guide
p. 9 "How can therapy hekp with guilt?" by
Patricai W. Dietz
p. 10 "The Origin of Maternal Feelings of Guilt in SIDS." Luisella Zervi Schwartz
p. 11-14 "Grasping at Straws to Blame Ourselves." Joani Nelson Horchler